熊本河内町・松尾町と私たち -後編- 私たちの船出[AWASOO SHORT STORY]

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海苔棚へ向けて出航

撮影三日目、松尾漁協のご厚意で船を出していただく日です。春を感じさせる柔らかな空が広がっていました。風の冷たさもどこか心地よく感じました。有明海の対岸に雲仙岳がぼんやりと浮かび上がっていました。14時頃に待ち合わせ場所の松尾の漁港に到着しました。この日の干潮は三時頃ですが、完全に干潮になってしまうと港に船が戻れなくなってしまうとのことで、干潮の1時間前に出港し、干潮時は沖で過ごしてから帰港する予定でした。

手渡されたライフジャケットを着込んで、緊張しながら慣れない足取りで船に乗り込みました。日頃いかに私たちが平らな面ばかり踏んで生活をしているか、その有り難みと情けなさを同時に感じました。

船のエンジンがかかり、ゆったりと旋回をしました。

残念ながらそのような穏やかさは港を出るまででした。エンジンの音は昂り、船はどんどんスピードを上げていき、私たちは振り落とされないようにしゃがみこんで、船縁にしがみつきました。ときおり下から突き上げるような海のぶ厚さを感じながら、これから始まる海上でのひとときへの期待に、胸は高鳴りました。

しばらくすると海苔棚の集まる漁場へと辿り着き、その中へと進んでいきました。

これまで海苔棚を陸から遠巻きに眺めていただけだったので、気がつかなかったのですが、実際の海苔棚というのはとても大きいのです。しかもそれが海の上に田んぼのように規則正しく碁盤目状に並んでいて、その間を船で通り抜けていく感覚は、ちょっとした村にでも入り込んだような感じとでもいうのでしょうか、とても不思議な体験でした。

私たちが漁場に到着したときは干潮までまだ時間があったので、海苔棚の網は海面すれすれに出てきたばかりでした。例の「網が浮かんでいるところが撮りたい」というには少し低いのですが、とりあえず写真を撮り始めました。船を海苔棚ぎりぎりまで寄せていただき、流されたらまた場所を調整していただく、その繰り返しでした。

ときおり支柱を支えるために斜めに張られたロープに頭をぶつけそうになりながら、前後上下左右あらゆる方向にうねる船の上で撮影をしていると、船長室の方から、

「見えるか?」

と組合長が言うのが聞こえました。私たちが振り返ると、組合長は今いるところよりさらに沖の方、島原の方角を指差しました。私たちもその方向を目を凝らしてみましたが、何を示しているのか理解できずにいると、その様子を見かねた組合長は、

「ほら、奥で海苔を採ってる」

と言いました。「えっ!?」と驚きながら、再びその方へ目を凝らすと、遠くに小さく白い胡麻粒ほどの点がいくつか左右に行ったり来たりしているのが見えました。海で働く人の目の良さには本当に驚きました。

「行ってみるか?」

と言っていただいたので、

「是非お願いします!」

と甘えられるだけ甘えさせていただき、さらに沖へと船を走らせていただきました。

組合長はエンジンを全開にしました。今までとは比べ物にならないくらい速く、エンジン音も唸るというより叫び声です。なにか組合長が言っているのですが、あまりよく聞こえませんでした。どうやら身振りから船長室の後ろでしっかり捕まっていろということのようでしたので、船長室の後ろにまわりこみ、そこにあったポールにしっかりと捕まりました。船はスピードが上がるにつれて小さな波ですら大きな段差のように駆けて行きました。暖かいとはいってもまだ二月で、私たちはダウンジャケットを着ていました。ふと、万が一海に振り落とされてしまったとしたら、水分を含んだダウンジャケットの重さと、ライフジャケットの浮力はどっちが勝るのだろうかと心配になりましたが、船は次第に速度を落としていき、安堵してようやく下を見ると、案の定びしょ濡れになっていました。

もう一つの海苔棚のかたち

到着してみると、そこに海苔棚はありませんでした。正確にはあるのですが、私たちが先に見てきたような支柱で網を吊り下げているものではなく、網は海の表面にぷかぷかと浮いていました。

「このあたりは両方の海苔棚が見れるんだよ」

組合長はそう言うと、海苔棚の仕組みを説明してくださりました。遠浅の海でも沖にいけばやはり深く、支柱を海底に刺すのは難しいため、網を繋いだ錨(いかり)を海底に沈めて、流されないように固定しているのだそうです。私たちが最初に見てきたのが<支柱漁場>という名前で、この錨で繋いだものを<浮き流し漁場>というそうです。このエリアはその両方が見れる珍しい場所ということでした。

ちょうど海苔の収穫をしていたのは<システム船>といって、海苔の網の下を潜りながら収穫するタイプの船で、この船が出来てから深夜のうちに漁に出ることが多くなったそうです。私たちはてっきり昔ながらのやり方で、人の乗った船が網のそばに横付けして、網を引っ張り込んで収穫をしているのかと思っていたので、とても驚きました。

システム船が通るたびに海の中から網が巻き上げられ、網は船の上から船尾の方へと、と言っても船が進んでいるのですが、船が通り過ぎるとまた海の中へ消えていきます。その様子は海の上の畑仕事といったような印象を受けました。

漁港を出発してからだいぶ時間も経ち、干潮の時刻が近づいてきたので、私たちは再び支柱漁場へと戻ることにしました。船は向きを180度変えました。河内や松尾のあたりの山々を眺めながら再び船は全速力で走り出しました。もちろんまた全身濡れるのですが、海上で感じる風はとても気持ちが良く、目に見えているもの全て、空も山も海も、全身で受け止めていると、生きている心地ってこういうことかもしれないと思いました。

浮き上がった海苔棚

漁場についてみると、ちょうど干潮時刻でしたので、網は先ほどよりも高く海面から浮き上がっていました。再び船を海苔棚に寄せてもらい、撮影をしました。網にくっついている海苔は、黒々としていかにも海の栄養を蓄えているように見えました。少しのあいだこうやって太陽の日差しと空気に触れ、そしてまた海の中へと戻っていく、それが延々と繰り返されているのだなと思うと、海苔というのが人の手仕事と自然の摂理とのちょうど交わるところで育っていることを実感しました。

いつかこの海苔が私たちの体の中に入り、その内に宿したこの大自然の豊かさが、私たちの一部になるのを想像するだけで喜びが込み上げてきますし、私たちも世界中の人たちにその喜びを共有していきたいと心から思いました。

撮影を終えて船で港に戻っていく最中、堤防の壁面についた海水で濡れた痕跡を見て驚きました。その高さは私たちの頭の高さよりずっと上にあります。

「このあたりは5mくらいも変わるんだ」

と組合長は言いました。ダイナミックな自然の力に圧倒されながら、海底の泥が左右に剥き出しになって川のように細い海の上を、船は走り港へ到着しました。

船を降りると、固い地面の有り難さと寂しさとを感じました。それから私たちは漁協の方々と別れ、車に乗り空港へと向かいました。少しずつ薄れゆく海上のおおらかなひと時を想いながら、今度は私たちの船出が始まったのでした。河内漁協の皆さん、松尾漁協の皆さん、そのほか多くの方々との出会いに感謝申し上げます。