熊本河内町・松尾町と私たち -中編- 海を見守る神々[AWASOO SHORT STORY]

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それから私たちがふたたび熊本を訪れたのは、翌年の二月のことでした。三日間の滞在のうち、二日目と三日目の干潮の時に、海苔棚の網が海面から上がってくるだろうという算段でした。

前年の十二月のロケハンの後、河内漁協・松尾漁協の方々と連絡を取り、撮影スケジュールの検討を進めていく中で、松尾漁協の組合長のご厚意により、三日目に船を出していただけることになっておりましたので、二日目に海を見渡す引きの画を撮り、三日目の干潮時は沖に出て撮影を行う計画でした。自然相手の撮影なので、いくら計画をしても、何も確実なものがないという不安もありましたが、それがかえって、もう全てを楽しむしかないのだと、私たちを大胆で楽観的な気持ちにしました。

初日は朝の便で羽田を出発し、熊本空港から車で河内町・松尾町に向かい、同行しているカメラマンと共に漁協へ挨拶まわりをしたのち、参事の村田さんの案内のもと再度ロケハンを行いました。久しぶりの段々畑は、みかんの収穫がすっかり終わってしまって、正直に言うと少し寂しく物足りない気持ちになりましたが、細く険しい農道を右往左往、山肌に沿って登っていき、車から降りて目一杯に空気を吸い込み、有明海と雲仙岳の雄大な景色を眺めると、もうなにか成功をした後かのような満足感さえ感じました。

海を見守る神社

二日目、干潮の時刻は14時過ぎでしたので、午前中いっぱい私たちは河内町や松尾町のさらに南に位置する宇土市を訪れました。ここには住吉神社があるのですが、この神社は海苔の関係者にとっては特別な神社なのです。住吉神社ですので海との関係はそもそも深いのですが、この神社の何が特別かというと、境内にイギリスの藻類学者キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー氏の顕彰碑があるのです。この方について詳しくは別の機会に書こうと思いますが、このベーカー氏こそ日本の海苔の養殖に大変な貢献をされた方で、私たちもせっかく熊本にきたのだからと宇土の住吉神社を訪れたいと考えていました。

宿泊していた熊本市内から車で向かい、宇土の海岸に出ると、干潟の向こうに、亀の甲羅のような小山が、海に向かって迫り出しているのが見えました。小山は鬱蒼と木が生い茂っており、一目でそれ自体が御神体なのだろうと思いました。車でその麓をぐるりと回ると、ポツンと小さな鳥居が現れました。

鳥居から山肌に沿って階段を登っていくと、今は役目を終えた古いコンクリート製の灯台が現れ、その前を通り過ぎて、さらに参道を進んでいきます。ところどころ木々の間から宇土の海苔の漁場が垣間見え、青い海に真っ白な船が何艘も爽やかに浮かんでいました。その中に一際目立って、枕草子にも詠まれたという<風流島(たわれじま)>がこちらを向いて海に浮かんでいました。どうやらこの岩礁の島も御神体のようで、てっぺんに鳥居があり、その周りではたくさんの鳥たちが羽を休めていました。

広場のようなところに出ると、そこに木漏れ日を浴び、有明海を背にして、ベーカー氏の顕彰碑が静かな佇まいで建っていました。イギリスから遠い異国の地に自らの存在が定着するのはどんな気分なんだろうかとか、今は安らかな気持ちなのだろうかと、お墓でもないのに想像ながら、しばらくのあいだベーカー氏の顕彰碑を眺めているうちに、ふと<いちばんここに似合う人>なのかも知れないと思いました。

顕彰碑のあるところからさらに奥に進んで、それから灯籠が両脇に並ぶ階段を登ると、おそらく小山のてっぺんにあたるかと思いますが、そこに立派な社殿がありました。地面は綺麗に掃き清められ、この神社が大切にされているのだとわかりますし、社殿を囲む茂みから鳥の囀りが響き、木々が海風に揺れて音を立てるのを聴いていると、屋根の上の千木がいっそう頼もしく、長い年月にわたってこの神社が、海や船やそこで働く人々を見守ってきてくださったのだと、つくづく有り難く感じました。

難題だった泡の撮影

有明海は私たちが南方の海と聞いて想像するようなエメラルドグリーンの透き通った海とは違い、どこか濁った感じの色をしています。しかし、近くで見てみると水はとても綺麗で、栄養たっぷりなのがよくわかります。私たちは「ブランド名が泡草というからには、海で泡を撮りたい!」と意気込んでいたのですが、ところが実際には有明海というのは内海のため、あまり波が立たないので、この「泡撮影」は難航するかと予想していました。

住吉神社の社殿から再び、車を停めた波止場へ戻ってくると、ちょうど潮が満ちていく最中で、波止場にぶつかる波が微かに泡立っているのに気がつきました。私たちはすぐに駆け寄って、波打ち際ギリギリまで堤防を降りて行き、滑り落ちないように気をつけながら撮影をしました。泡は絶えず形を変えて見ているだけでも面白く、それに加えて波打ち際の駆け引きの楽しさも相まって、難航するとの予想をすっかり忘れてしまうほど楽しい撮影となりました。この時の写真はキーヴィジュアルとしてさまざまな形で使われています。

午後は再びみかんの段々畑からの撮影でした。この土地のイメージといえば木々の緑と、柑橘の黄色と、海や空の淡い青さでしたが、この時はみかんが無い代わりに、早くも咲き始めた可愛らしい白い梅の花が、その中心や蕾の優しい桃色で、少し早い春の訪れを感じさせてくれました。

眼下では海苔棚に向かっていく小さな船が海面にゆったりと円弧を描いていき、その様子を眺めていると、ついつい撮影をしていることを忘れてしまいそうになります。<草枕>の一節を、ぼんやりと頭の中で思い出していました。

「春は眠くなる。猫は鼠を取る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さへ忘れて正体なくなる。」

いくつかの撮影スポットを車で巡っていただきながら、私たちは撮影を進めていきました。陽が傾いていくにしたがって、海面が銀色の鏡のようになり、雪上を蛇が這ったかのように潮目がくっきりと現れました。ふと、蛇の姿をした地霊ゲニウス・ロキを思い出しました。たくさんの這い跡があるところを見ると、ずいぶんこの土地は愛されているなと思いを馳せながら、人間の乗る小さな船が、空から降り注ぐ光の筋の間を進んでいく様を眺めていると、本当に神話の世界にいるような気がしました。