熊本河内町・松尾町と私たち -前編- 初めての訪問[AWASOO SHORT STORY]

熊本河内町・松尾町との出会い

私たちのブランドにとって特別な場所があるとすれば、真っ先に思い浮かぶのは熊本県の河内町と松尾町です。まだブランドを立ち上げる前、キーヴィジュアルをどこで撮影しようかとインターネットで調べていたときに、ふと目に止まったのが河内町で撮影された写真でした。対岸に望む雲仙岳の雄大な姿とその手前に広がる凪いだ海、その海には海苔棚の竿が無数に刺さっており、それが葦の群生さながら自然に生えてきたもののように見える素敵な写真でした。

<ここしかない>という直感と<ここに行ってみたい>という素直な気持ちから、さっそく河内町の商工会に電話をし、それから漁協組合を紹介してもらって、そちらにも連絡をしました。

「海苔棚の網が浮いているところが撮りたいんです」

電話口に出てくださった漁協の窓口の方にそう伝えると、参事の村田さんに取り次いでいただきました。それから村田さんにも同じように、どうしても網が浮いているところを撮りたいという旨を伝えました。しかし、村田さんとお話しさせていただくうちに、そんなに簡単なことではなさそうだとわかりました。

海苔棚を撮影する難しさ

事前に写真を見ていて、海苔棚には<海から竿だけが見えているとき>と<竿に吊り下げられた網が見えているとき>とがあるくらいには理解していましたが、なぜその二つの状態があるのかまでは、あまり深く考えていませんでした。けれど、せっかく撮影するのだから、網が見えていて、海面に焼き海苔が浮かんでいるかのように撮りたいと考えていました。

村田さんに伺ったところ、それはタイミング次第だということでした。

海苔棚には竿だけのものと、網が張ってあるものとがあるのではなく、竿には全て網が張ってあって、それが潮の満ち引きによって海面から出たり隠れたりしているというのです。つまり一日に二度、干潮になった時が勝負になるということでした。しかも、干潮であれば必ず網が見えるわけではなく、ある程度潮位が下がらないと見えず、しかもその貴重なタイミングも、お日様が出ている時間帯とは限らないのです。おまけに撮影となると天気も関係してきます。秋に網を張って、収穫はせいぜい三月中旬くらいまでとのことでしたので、電話の時点ですでに十一月でしたから、東京を拠点とする私たちにとって、そのような限られた条件下で撮影を行うのは、とてもリスクが高く不安が残りました。こういう時、産地の方々は羨ましいなあとつくづく思いました。村田さんはこれらのことを丁寧に何度も説明してくださったのですが、私たちの諦めの悪さもあって、何度も繰り返し<網が見えるところを撮りたい>の一点張りをしていました。すると、 電話口の村田さんは

「となりの松尾漁協の方なら網を高く張るから、可能性が高いかもしれない」

とおっしゃって、河内の港から国道を少し南に下ったところにある松尾町の漁協の番号を教えてくださりました。私たちは言われるがまま、流されるまま、心のうちでは<このままたらい回しにされたらどうしよう>と心配もしつつ、今度は松尾漁協に電話をしました。松尾漁協の方にも同じように撮影の意図を伝えました。それからどのような画が撮りたいのかも伝えましたが、やはり網を高く張ってはいるものの、撮影できるかどうかはタイミング次第で、撮りたい画が撮れる保証はないということでした。

しかし、それでも諦めきれない私たちは、現地の様子を生で見ないことには不可能の実感すら湧かないからと、ほとんど賭けに近いようなロケハンを敢行することにしました。両漁協に訪問のアポイントメントを取り、十二月の頭に訪問することになりました。今思えば海苔の入札でお忙しい時期なのに、本当に温かく迎えていただき感謝するばかりです。

<織りなす>驚きの世界

暖冬のせいで十二月だというのにさほど寒くもない日に、私たちは羽田空港から朝の便で熊本空港に飛びました。空港でレンタカーを借りて、そのまま河内町に向かいました。空港から市内まで大体40分くらい、市内から河内までは20分か30分くらいだったでしょうか。徐々に海に近づくにつれ、遠くの雲仙岳が大きく近づいてきて、川に漁船が何隻か泊まっているのが目に入りました。河口だ、もうすぐ海だと思っていると、道は海岸線にゆるやかに溶け込んで、有明海が視界いっぱいに広がりました。ところどころ海苔棚の竿が海面から生えているのを見て、ワクワクする気持ちを抑えながらスマートフォンのカメラで撮影していましたが、ふと反対の山の斜面の方を見ると、紅葉する木々の中にぽつぽつと明るいものが輝いているのに気がつきました。その冴えた色彩に思わず、

「あ、みかんだ!」

と声に出してしまいました。道を進むにつれて、みかんの輝きは山肌いっぱいに広がりました。綺麗に積み上げられた石垣が山の麓からてっぺんまで段々に積み重なっていて、山はまるで古代遺跡のようでした。人の住む場所と自然の領域とがグラデーション状に分かれているのではなく、目に見える全てが自然であり、その全てに人の手が加わっているという不思議な様相に、ふと<織りなす>という言葉が頭をよぎりました。それも溌剌として、とても楽しい織り物のように感じました。

恍惚と山肌を眺めているうちに、まもなく河内の港に着きました。こぢんまりとした港のあたりは背後の段々畑も相まって、ミニチュアの世界に入り込んだかのようです。ひとまず、おそらく町に一軒のスーパー<シトラス>の駐車場に車を停めて降り、ゆっくりと深呼吸をしました。冷たい冬の風に潮の香りが混じって、鼻の奥にツンと届くと、朝には東京にいたことをすっかり忘れて、心にはこの地に流れる穏やかで温かいものが流れ込んできました。いいところだなあと、しみじみ周囲を眺めていると、すぐ隣の敷地に漁協があるのに気がつきました。

撮影の難しさを再び痛感する

参事の村田さんの部屋に通していただき、ここでもう一度「網がどうしても撮りたいんです」と伝えると、村田さんは机の上から冊子をとって私たちに手渡しました。表紙には「汐見表」と書いてあり、中のページをめくると、どのページにも数字がたくさん書いてある表が並んでいます。村田さんの説明によると、これは日ごとの干潮・満潮の時刻と、その時の潮位が表になっている冊子で、一年分で一冊になっているのとことでした。どの時期にくれば、どのくらいの時間に、どのくらいの潮位か。一つ一つ丁寧に教えていただきました。その結果、事前に理解していたよりもはるかに撮影が可能な日は少なく、条件が揃う日はぱらぱらと散らばって、ひと月あたり3、4日しかないということがわかりました。しかも冬で日照時間は短く、一日あたり一度の干潮時でしか撮影は難しそうでした。これにはさすがにリスクが高すぎるのではないかと不安がどっと押し寄せてきました。

「ちょうど干潮だし、撮影に良いと思う場所があるけど見てみるか?」

気落ちしている私たちを見かねてか、村田さんはそう言うと表に車を取りに行きました。

みかん畑を駆け上がった先で

私たちは引きの画を山の上から撮影しようと考えていました。河内町で有明海を撮るのに有名なスポットがあって、そのことを私たちも事前にリサーチをして知っていたからです。しかし、村田さんの運転する車が向かうのは、全く違う方向でした。国道を南下し、それから急に脇道に入ると、あの段々畑の農道に入り込んで行ったのです。この農道というのがまた登山鉄道にでも乗ったのかというような、急な斜面を右往左往しながら進む細い道で、慣れた人でなければ絶対に登って行けそうにない冷や冷やする道でしたが、道の両脇にはこれから収穫を待つみかんの実がたくさん成っており、車内はスリル以上に良い予感に満たされました。転がっているやつでいいからを一つ食べてみたいな、なんて窓越しに眺めていました。ときおり体を車体に押し付けられ、お尻を座席に叩きつけられながら、しばらく登ったあとで車は停まり、サイドブレーキを引き上げる音がしました。

車から降りると、鳥のさえずりが響き渡るとても静かな段々畑の真っ只中にいました。足元には実をたくさんつけたみかんの木が並び、その先には、銀色の海。かつてこの地に滞在して「草枕」を書き上げた夏目漱石はそのように表現しましたが、磨りガラスのような平たい海面にはなんとも言えず抽象的な、未知の壮大な楽譜のように海苔棚が広がっていました。そして真正面には雲仙岳の美しいシルエットが悠々と眺められました。一目で「やっぱりここを選んで良かった」と思いました。右を見ても、左を見ても、後ろを見てもみかんの輝きに包まれ、前を向けば大海原が広がっており、もし天国があるとしたら、きっとこんなところじゃないかしらと思いました。

村田さんは河内の漁場と松尾の漁場とを示しながら、その違いを説明をしてくださったのですが、見比べてみるとたしかに松尾の方は網が海面から上がって黒々とはっきり見えており、一方の河内の方はほとんど海に隠れて竿だけが見えていました。実際にその二つの違いを一望して、ようやく実感が湧いてきました。素晴らしい景色を前に、撮影の不安もいつの間にか吹き飛んでしまい、可能性は低くても不可能ではないのだから、やっぱりこの場所に賭けてみたいと前向きな気持ちになっていました。良い予感を胸に、しばらくの間ただぼんやりと海を眺めていました。すると、村田さんは手前にあったみかんの木からおもむろに実をもぎ取って、

「美味しいから、食べてみな」

と言って私たちに一つずつ配りました。それから自身も一つもぎ取ると、皮を剥いて、その皮を畑にポイっと投げ捨てました。そして房を一つ、ポイっと口へ放り入れました。その小慣れた一連の仕草に憧れさえ覚えましたが、なかなか同じようにするのをためらっていると、

「みんなこうしてるから、気にしないで捨てちゃいな」

と言ってくださり、それで私たちも小さな勇気を出して、同じように皮を畑に投げ捨て、甘いみかんを頬張りながら海を眺めてみると、早くもこの場所に帰ってきたいような、そんな気持ちになりました。